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2008年5月 5日 (月)

「捕虜の文明史」1990年

捕虜の文明史

一九九〇年九月一五日発行

著 者吹浦 忠正

発行者:佐藤亮一

発行所:株式会社 新潮社

ISBN:4-10-600387-2 C0332

目 次

第一部 「生かすも殺すも」自在の捕虜

 1 最古の捕虜の発見者桜井清彦

   史上最古(?)の捕虜

   生殺与奪が自由に

   旧約聖書に見る捕虜の処遇

 2 わが国初の捕虜大伴博麻

   蝦夷人への観降

   身売りして仲間の帰国をはかる

   唐から来日した二千人の謎 

 3 中世の捕虜は金次第

   戦争は身代金が目当て

   支払えずに逆戻りした国王も

   補えた人とは契約関係に

   誰が補えたかが大問題

   天下晴れてのルール

 4 国際法の父が認めた捕虜殺害

   降伏者に危害加うも可

   和議を結んでの休戦も

   身代金を払わなかった元老院

   殺害か、奴隷か

 5 人道・博愛は西欧だけではなかった

   殺害を禁じていたマヌ法典

   恐怖と慈愛の「不世出の英雄」

 6 慶長の役で日本に抑留された儒者

   わが身を中国の先人に比す

   中国の著名捕虜列伝

   海上で藤堂軍に

   藤原惺窩らと交わる

   日本人捕虜の子孫が内務長官

   日本人は捕虜を食べてしまう?

   日本人の捕虜は奴隷にしなかった

第二部 ルールづくりへの模索

 7 捕虜に人権あり

   捕虜の地位を理論化

   捕虜の管理は国の責任

   等位数交換

   条約は出来たけれど

 8 日本人の真髄説いた先駆者

   日本人の真心を著わす

   赤十字思想受入れに基盤あり

   降伏する者は殺さず

   捕虜にもある程度の礼

   殺生有択

 9 欧州の法を集大成して南北戦争に

   リーバーの闘い

   捕虜取扱いの基本を網羅

   保護できぬなら捕えるな

10 西欧の補虜観を移入した西周

   生檎も降慮も殺してはならぬ

   万国公法を紹介

11 明治維新、二人の異傑

   賊軍の捕虜をつれてこい

   うしろ手に縛られた死体

   官軍に届けた『海津全書』

   海軍大臣になった元捕虜   

12 幻の捕虜条約『ブラッセル宣言』

   会議外交の伝統

   各地で働きかけたデュナン

   三つの意義

   日清戦争に生かされた

13 谷千城と西郷隆盛

   「疎暴の取扱致間敷地事」

   降慮を殺戮すること勿れ

   官軍に降参する者は………

   万国公法でも戒めている

14 捕虜観を異にした山縣と大山

   帝国軍隊の将校に告ぐ

   名こそ惜けれ

   抗敵せざる者は愛撫せよ

15 「国際人」森鴎外の活躍

   専門誌に条約を解説

   問へど答へず強ひても問はず

   捕虜将校から犬を贈らる

   赤十字職員を条約どおり還す

   医師らに国際法学ばず

16 日清、日露に従軍した国際法学者

   苟モ国際法ニ戻ラサル限リ

   大虐殺事件を起した大山軍

   カサを贈って釈放

   俘虜天覧

   学者を職場にはりつけ

17 悲劇の皇帝が遺した『陸軍法規』

   日本含む二十六カ国が参加

   軍縮には成果なし

   捕虜について具体的に成分化

   またも消極的だったイギリス

   海上での捕獲者

   世界大戦で第三回は開かれず

第三部 厚遇と虐待と ―――現代の捕虜

18 松山での収容所生活を記録

   小船での脱出に失敗

   二十九ヵ所で八万人を収容

   遠来の客人

   「マツヤマ!」と叫び降伏

   行き過ぎを心配する声も

   マルテンスから感謝状

   日本刀の切れ味

19 日本も実施した「宣誓解放」

   四万四千中、千四百余が宣誓解放

   良心のみを信じて

   将校=紳士=約束を守る

   宣誓破りには厳しい制裁

   宣誓の強要はできない

20 ユーラシアを一巡した農民兵

   大佐も捕虜に

   中隊が丸ごと捕虜に

   規則定めて厚遇

   氏名公表、内地から慰問品

   米仏通じ待遇改善に努力

21 故郷に迎えられなかった勇者

   一部では白眼視も

   酒巻少尉を励ました元捕虜

   捕虜は恥辱(?)

   日清戦争でも

   「捕虜」を認めた明治

   「昭和捕虜観」の素地

22 ロマン・ロランの捕虜カード整理

   母への手紙

   家族へ生存を通報

   捕虜を協力者に仕立てる

   日本が入らなかった俘虜条約

23 収容所で焼いたバウムクーヘン

   文明国ドイツからの珍客

   捕虜による文化移転

   ワンゲルからタイヤまで

   「第九」や「運命」を初演

   今に続く日独の交流

   ライポルトさんらの再訪

   収容所長は「会津降伏人」の子

24 太平洋戦争の捕虜たち

   真珠湾で捕わる

   珠数つなぎに貫き連ぬる意

   鏡花の作品で「捕虜」

   文章で「俘虜」、会話で「捕虜」

   法律で「俘虜」、文学で「捕虜」

   軍紀低下で『戦陣訓』

   “玉砕”の島にも捕虜が

   サイパン以後に急増した捕虜

   よもや捕虜になろうとは

   「捕虜のなり方」がわからない

   「大義に生きよ」

   新条約にできた普及義務

   連合軍、捕虜に強い関心

25 捕虜の「捕虜」になった捕虜収容所長

   洗脳

   強制送還か任意送還か

   所内でのたび重なる流血

   所長を収容棟内に拉致

   停 戦

   未帰還兵問題残したベトナム終戦

「あとがき」に代えて

   トルストイの平和観

   「寛大さ」は戦争を誘発させない

   文明国としての戦さ

   国際人道法の普及を願って

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